小さな村の…大きな学び!?④〜「学びあい」のスイッチ!とその後の活動〜(みた農園 三田善雄)
第1回のブログでは、「第1回大井地区国際防災会議」の概要について、第2回では、地域が学びあってきた防災意識について、そして前回は、その防災会議のハンドブック(『持続可能な地域づくりのための「学びあい」ハンドブック〜コーディネートとそのふりかえり』)を通した「ふりかえり」についてお伝えいたしました。
今回は、防災会議の実施のスイッチになった事柄や、その後の地域活動についてお伝えいたします。
「スイッチ!は『歴史の教訓を活かせなかった』との一言でした・・・」
2019年8月1日に、2018年の西日本豪雨時に岡山県倉敷市真備町で被災された尾藤寿実さん(元岡山市立灘崎公民館長・防災士)の講演会を企画しました。
災害発生から約1年と、物心ともにまだまだ傷の癒えない状況下での彼のお話は、涙無しにはお聞きできるものではありませんでした。特に筆者の印象に残るのは、ある古民家の壁の写真です。そこには1893年(明治26年)の水害時の浸水痕跡と西日本豪雨時のそれとの、両方の痕跡が残っていました。尾藤さんがその写真を握りしめながら「真備で犠牲になった51名の命は救えた命だった。歴史の教訓を活かせなかった」と…ことさらに私の琴線にも深くふかく触れる一言でした。
彼が初めて弊農園にいらっしゃったのは、2018年7月5日の木曜日。翌週の月曜日に予定されている公民館(当時、尾藤さんが館長を務められていた)での「市民大学」講座の打合せのためでした。
西日本豪雨災害が真備町で起こったのは、その2日後の7月7日。そして筆者が彼の被災を知ったのが、その翌日でした。公民館からは講演会実施のご連絡をいただき、筆者は9日の講演に臨みましたが、もちろん尾藤館長のお姿はありません。冒頭参加者のみなさんと黙祷を…ただそれは、なんとも形容のしがたい時間でした。
7月12〜15日にかけて、被災された尾藤さんのご自宅の片づけのお手伝いにお邪魔しました。そのご自宅の台所の壁には、泥水で汚れたままの真備町のハザードマップが…その光景も、どうしても忘れられません。
「2度の朝食会」
2019年11月2日(国際防災会議の開催日)の弊農園での朝食会。その食卓を囲むのは、「シャプラニール=市民による海外協力の会」の小松豊明さん(事務局長)とキル・バハドゥール・ガレさん(ネパール事務所プログラムオフィサー/防災事業担当)、そして地元足守地区在住の森田靖さんと筆者の4人でした。
森田さんは、真備町のある岡山県倉敷市災害ボラティアコーディネーターで、災害ボランティアとして全国の災害復旧現場で活動した豊富な経験を活かして、県内で数多くの防災ワークショップのファシリテーターも務めています。昨年は真備町(箭田地区)の災害ボランティアセンターで、センターの設置当初から活動しました。その後はプロのカメラマンでもある技術を活かし、真備町での写真洗浄活動をしています。
また、シャプラニールの小松さんは、2004年のインド洋大津波時のスリランカでの緊急支援活動、2011年〜15年の東日本大震災時の福島県いわき市での復旧・復興支援活動、そしてネパールでの防災・減災事業など、災害に対する事前準備・緊急復旧支援・そして復興支援と多様な場面での活動経験もお持ちで、西日本豪雨による災害時には、岡山県倉敷市真備町で災害復旧支援活動にあたられました。そして、偶然にも真備町(箭田地区)の災害ボランティアセンターで森田さんと小松さんが活動を共にされたのでした。
2018年8月19日には、真備町(箭田地区)の災害ボランティアセンターでの活動を一旦終了した小松さんが、東京に帰る前夜に弊農園に宿泊。翌朝ご無理を言って、地域の方に声かけし我が家での朝食会を企画しました。そこには森田さんも同席し、短い時間ですが災害ボランティアセンターでの活動のこと、これからの支援のことなどの意見交換の時間にもなりました。
このような経緯でお二人と2度の朝食を共にさせていただくことで、筆者には「災害が起こってからの対処療法中心の活動を、事前の準備に変えて行くために何かできるのでは」との思いが広がっていきます。そして河田恵昭先生の「災害文化」という言葉や、尾藤さんの「歴史の教訓を活かせなかった」という言葉に強く揺さぶられたのも、こういった気持ちが心底に流れていたからだと思います。
「災害伝承を掘り起こせ!」
2019年8月1日の尾藤さんの講演会。ちょうどこの頃は、河田先生の言われる「災害文化の構築」につながる地域活動についての思案をしていた時期でもありました。
そこで後日早速に、地域の歴史学習会で講師をつとめる郷土史愛好家の柏野忍さんにお願いし、2019年8月19日の例会で「金石文から読み解く地域の水害史」というタイトルのご講話をしていただきました。またその例会後には、年末に開催予定の大井地区の歴史小冊子(柏野さんのこれまでの学習会でのお話をまとめた冊子)の出版記念プログラムの話し合いがありましたので、午前中に企画している歴史散策交流会のテーマを「地域の水害史跡をめぐる」とさせてもらって、参加者とコースづくりのワークショプを実施しました。
また、その日の午後に企画している記念講演会のテーマも「災害伝承」とし、講師の選定もはじめました。そしてちょうどこの頃、シャプラニールから最初の岡山訪問の連絡があり、第1回大井地区国際防災会議の企画を思い立つにも至りました。
「その後の展開・・・地域災害文化の構築にむけて」
12月16日の大井地区の歴史小冊子「備中國大井郷昔小話」(全38話)の出版記念プログラムには約40名の地域のみなさんの参加がありました。
午前中は、柏野さんの案内で水害史跡など8ヶ所を、この小冊子とハザードマップ(西日本豪雨時の写真入り/国際会議前にシャプラニールのお二人を大井地区各所にご案内した時の資料を元に作成)を確認しながら散策。お昼に手打ちうどんを食べながらの談笑。そして午後からの講演会では、「伝承にみる水害」というテーマで、日本民話の会(全国の民話10,000話を採録)会長の立石憲利さんにご講話いただきました。
立石さんは、ちょうどシャプラニールのお二人と国際会議後に訪れた1893年(明治26年)の洪水犠牲者供養塔のある総社市湛井地区(高梁川中流)にお住まいで、ご講演ではこの地区の水害史跡についてもふれていただきました。また8月の講演会で、尾藤さんが示された真備町(高梁川下流)の古民家の壁の浸水痕跡もこの明治の大洪水でできたもので、シャプラニールのお二人は大井地区での国際会議の前日に、真備町の供養塔に参拝されたとお聞きしています。
「三田さん、大切なのは互助だよ…格差が骨身にしみる」とは、2020年3月9日に、このブログの内容を確認するために尾藤さんにお電話しましたときの、印象的な彼の一言です。その一言に、2018年8月19日の1回目の朝食会後、岡山空港への道すがら小松さんにこれから西日本豪雨災害の復旧・復興に必用な支援についてお聞きすると、「見なし仮設に入った基礎年金単身生活のお年寄りへの寄り添い支援では」と、お話されたことを思い出しました。そして森田さんは、いま足守地区で子ども食堂を企画していますし、小松さんはお住まいの西東京市で、地域の子どもたちの居場所づくりをされています。
郷土史愛好家の柏野さんが、2019年10月21日の定例学習会用に作成された資料にはこんな一文があります。
「日近・弥高地内にある太田家の墓碑に、『明治二十五年七月有洪水一郷流亡』と刻みます。この時期、下流の大井村では急な出水で溺死者10名、負傷者10名を数える惨事となりました」
太田さんはどんなお気持ちでご自分のお墓に、地域の水害のことを刻まれたのでしょうか?ともすれば「わたし」が優先される現代社会、もしこの「地域」を思う気持ち、そしてご近所を「想像する力」がもっとあれば、真備町での犠牲はでなかったのでしょうか?
河田先生は、National resilience(ナショナル・レジリエンス)は「国土強靭化」ではなく「コミュニティを豊かにする」ことだとおっしゃいます。構築すべき「災害文化」とは、「わたし」ファーストの文化ではなく、お互いを思いあう「わたしたち」の文化、すなわちそれは互助・共生の文化なのかもしれません。
先日、森田さんに、今年もう一度、尾藤さんの講演会をしませんか?と提案しました。筆者自身も引き続き地域の災害文化を掘り起こす企画を準備しています。誰一人取り残さない地域社会の構築に向けて、日常の学びあいの延長に、「わたしたち」はどんな地域文化を掘り起こし、何を再構築していったらいいのでしょうか?摸索は続きます。
これでコラム「小さな村の…大きな学び!?」(全4回)を終わらせていただきます。お読みいただいたみなさまはじめ、関係者のみなさまには心より感謝申しあげます。
【参考資料】
①「NPO法人シャプラニール=市民による海外協力の会」チトワン郡マディ市バンダルムレ川流域での防災活動